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当麻寺 双塔

当麻寺には東塔と西塔の双塔が有名です。
両塔は同時に建てられたものではなく、東塔からかなり遅れて西塔が建てられたことは建築様式からも明らかです。

東塔は奈良時代末期の建立。
上層の幅が狭くなっていく縮減率が大きいせいか、初層が三間で二・三層は二間になっています。
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斗組は最高ランクの三手先斗栱。
① 柱の上から斗と肘木を組んで、前方に桁を持ち出し、その上に天井(小天井という)を張る
② この桁を支点として、奥の方から斜めに太い尾垂木が飛び出す
③ 尾垂木は内方へ長く延びていてその尻を上の層の重さで押えて、外の先端を跳ね上げている
   この尾垂木の先に一組の斗組を乗せて垂木の支点となった桁との間には支輪を渡す
というようになっています。
当麻寺東塔

この時代は薬師寺東塔、唐招提寺金堂、当麻寺東塔の順に斗組の進化の過程が見られます。
薬師寺東塔の二手先目には尾垂木を押える支輪桁ないので支輪がありませんが、
唐招提寺金堂と当麻寺東塔には支輪があります。
その点では当麻寺東塔は唐招提寺金堂と同じ形式の斗栱と言えます。
唐招提寺金堂との違いというか、進化している点は隅組物に見られます。
軒桁下の秤肘木を隣と連続した長材を使用している点です。
【当麻寺東塔】
当麻寺東塔2

【唐招提寺金堂】
唐招提寺

奈良末期なのでまだ肘木に笹繰が見られます。
笹繰

三層(一番上)は鎌倉時代の改築です。
そのせいかどうかは分かりませんが、小天井の格子が初層、二層に比べると細かいです。
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相輪。
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西塔は工事中でした。
長く保存するには修繕工事は欠かせないので仕方のないどころかありがたいことです。
こちらの方が新しいので、上層への縮減率は少なくなっていてすべて三間で揃っています。
三層の屋根は垂木の傾斜がゆるいので初めからその上に野屋根を乗せていたとみられ、
そのため建立時期は平安時代を下るとされています。
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間斗束が入っているのは初層のみになっています。
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斗栱は東塔と同じく三手先斗栱。
斗の背が高く肘木は短くて、当然ながら笹繰はありません。
小天井はだいぶ狭く、軒下はこじんまりとまとめられています。
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相輪。
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当麻寺 金堂・講堂

当麻寺は曼荼羅堂が有名ですが、シルエットの整ったこちらが金堂です。
正面です。
1184年再建の桁行五間、梁行四間の入母屋造り。二回の改造を受けているそうです。
再奈良尺の柱間寸法なので旧規模が保たれていると見られています。
内部は土間で身舎いっぱいに土壇を築いて、創建当初の仏像をまつっています。
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見学は裏側から。
小規模ながら、斗組は2手先で支輪も見られ金堂の風格があります。
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基壇も高くてうれしくなります。
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金堂の背後に建つのは講堂。
1302年の再建。
桁行7間、梁行4間の寄棟造りで金堂より広いです。
柱間尺は奈良尺ではありません。
金堂と同じく基壇が高いです。
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斗組は三斗組。
内部は前面を土間とし低い床が張られています。
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当麻寺 曼荼羅堂・厨子

当麻寺の創建の由来は定かではないそうですが、白鳳末期から天平初期にかけて現在地に建立されたそうです。

こちらが有名な曼荼羅堂。
現在の姿になったのは1161年。
身舎(桁行5間 梁間2間)の前に接して同じ大きさの礼堂(桁行5間 梁間2間)を設け、両者を合わせた周囲に庇をめぐらし、全体を一つの寄棟屋根の下に入っています。
大きな寄棟屋根は元の建物の垂木の上に組まれているそうです。
【正面】
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【側面】
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奥の内陣は建立当時の堂の身舎がそのまま残された物で、薄暗いなか目を凝らしながら見上げると
二重虹梁蟇股が見られます。
ここに安置されているのが扁平な六角形の大厨子です。
とにかく厨子と気が付かないほどの大きさです。
主体は奈良時代で、五角の細い柱で支えられていることと格狭間の形式により奈良平安時代にさかのぼるとされています。
三枚折りの両開き板扉、盲連子、菱格子は鎌倉時代。
軒板の面には奈良時代に特有な技法である平脱文(この大厨子では金平脱文)が施されています。
※平脱文・・・金銀の薄板を文様形に切り、漆面に張って研ぎ出したもの
曼荼羅以外は薄暗くてよく見えませんが、大きさに圧倒されます。

軒下。
平三ツ斗です。
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基壇。
基壇は高く、亀腹がかわいいです。
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側面からの写真の一番右にある閼伽井屋の蟇股は優美なことで有名です。
上の蟇股は引き立てるために板蟇股にしてあるかのようです。
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栄山寺 八角円堂

栄山寺の八角円堂は764年頃の建立と考えている天平中期の霊廟建築です。
同じく八角円堂である法隆寺の夢殿は文献に困りませんが、栄山寺のこちらは詳しく解説されてる本が
「南都六宗の建築」(浅野清 著)しか見当たらなかったので、こちらを参考に見てきました。

現在の夢殿は鎌倉時代に大改造を受けていて屋根が重厚になってしまっていますが、
改造前はこのような軽やかな屋根だったと推定されています。
栄山寺の八角円堂は幅が狭いので背を高くして縦長です。
本来の夢殿は基壇も一重だったそうなのでこれを平たく幅広にした感じになるかと思います。
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基壇は地覆石がないですが壇上積。
地覆石は土に埋まっていて、実際の基壇はもう少し高さがあるのかもしれません。
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柱は内転びと言われる柱をやや内側に傾けて全体のプロポーションを整えるとともに
建物の連結を強固にする手法がとられています。
本当に微妙な傾きなので見ただけではよくわかりません。
断面は八角円堂なので、もちろん八角形です。
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扉と連子窓が交互に入っていて、連子窓の内側には開閉扉が付けられています。
連子窓は中柱によって二分されていますが、中柱は窓枠内に納まっていて頭貫にまでは達していません。
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軒は垂木は改造されているそうですが、古代建築特有の地円飛角の二重垂木。
地垂木がちょっと縦長のだ円です。
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斗組は夢殿と同じ平三ツ斗。
時代の新しい興福寺北円堂は三手先です。
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内部は撮影禁止なうえに、天蓋が取りつけてあって上の方がはっきり確認できなかったのですが
本によると天蓋の上は内部に柱を4本立ててその上に大斗を置き、その上を4本の虹梁で繋ぎ、
その虹梁上に2個ずつの斗を置いて隅を欠きとるように八角形の桁を組み、この材から外の桁へ隅木を架け渡している、
ということです。
本来なら内部の柱も8本必要ですが、栄山寺の八角堂は規模が小さいので4本に省略されているようです。
天蓋は格天井で柱間に横材を渡してその上に載せてあるように見えました。
柱や天井には彩色文様を施した痕跡が見られます。

構造上、内部の柱と外の側柱には繋梁が必要となります。
しかし柱の本数が違うので、1本の内部柱から2本ずつ繋梁を渡すことになります。
この繋ぎ梁は見たところ直角に渡しているので隅木の真下を通ることはありません。
私が見た感じだとこうなります。(実際は違っているかもしれませんが)
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しかし、外に見えている平三ツ斗はきれいにおさまっています。
実は繋梁には肘木がつくり出されていて、側柱の上で角度を変えて隅木を受けているそうです。
大斗の上にさらに斗が乗っていて、そこから力肘木が出ているのですが、おそらくこれが繋梁の続きだと思われます。
内部で繋梁が上の方の斗に載っていたので、下の枠肘木ではないです。
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宝珠は石製。
宝珠が美しい夢殿が華美なのに対し、こちらはシンプル仕様です。
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八角円堂は原型をよくとどめているし、景色もいいしでとてもいいところでした。
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栄山寺 梵鐘・石塔婆・塔之堂・本堂

奈良県五條市の吉野川沿いにある白鳳時代の719年創建の栄山寺。
見とれるくらい景色のいいところです。
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分かりにくいけどこの看板のところが入口。
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受付で入山料と特別拝観の期間だったので特別拝観料を払います。
この時に受付けの方が丁寧に栄山寺の説明してくれました。

まずは梵鐘。
青銅製で国宝です。
出入り自由で近くで見られます。
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お次は七重石塔婆。
奈良時代の建立で総高360センチメートル。
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こちらは塔之堂(大日堂)。
宝形造のお堂です。
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斗栱ではありませんが頭貫の木鼻をわざわざ出して刳り型をつけています。
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横から見ると柱も太いし、経蔵っぽいです。
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そして栄山寺の本堂。
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やけに庇が広いです。
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本堂の正面にある山門は簡素な薬医門。
今は使われてないようでしたが、この向こうに道路を挟んで吉野川が流れています
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唐招提寺 鼓楼・礼堂・東室・宝蔵・経蔵・食堂跡

講堂と軒廊(こんろう)で繋がっていた東室と礼堂の馬道(めどう)。
右側が礼堂で左側が妻室です。
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礼堂は高欄付き。
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軒の出が深く三軒になっていました。
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東室。
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唐招提寺の魅力は奈良時代の相接した堂間の密度が実感できるところです。
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密度を深める場所に位置している鼓楼。
かつては講堂の左右前方に鐘楼と経楼があり、その経楼の後身で13世紀中ごろの再建です。
下層の高欄を取ると普通の経蔵ですが、高欄があることによってとても雰囲気が軽く華やいだものになっています。
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唐招提寺で一番古い建物は右側の経蔵。
唐招提寺の創建よりも古い前歴をお持ちです。
元は切妻で宝蔵より小型です。
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講堂の裏には食堂跡。
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礎石なのか、仮に置いてある石なのか。
柱間の間隔で全部ではありませんがポツンポツンと置かれていました。
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海龍王寺 東金堂跡・金堂・経蔵

海龍王寺は中門と中金堂を回廊で結び、回廊内に西金堂・東金堂を向い合せて配する伽藍配置だったそうです。

西金堂の向かいに柵で囲まれてこんもりした東金堂の跡が残されています。
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これは礎石か?ただの岩か?
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中金堂跡に江戸時代に再建された本堂。
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西金堂と中金堂と石灯篭。
この画像の左側に中門があって西金堂もぐるりと回廊に囲まれていたということになるかな?と考えながら見てみましょう。
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少し外れたところに1237年建立の経蔵。
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普通の和様建築に、木鼻に大仏様建築の意匠が見られます。
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海龍王寺 西金堂

海龍王寺はパンフレットによると、天平3年(731)創立。

西金堂は、奈良時代の創建。
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棟木1本桁を4本出す二重虹梁蟇股で奈良時代の切妻屋根の構造。
内部もこの構造で屋根裏を見せています。
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鎌倉時代の修理で一部蟇股と虹梁をのぞいて部材が取り換えられているので、大仏様の混ざった形式になっているのが残念です。
飛えん垂木に鼻隠板がついています。
頭貫の木鼻には大仏様のくり型をつけています。
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ただ、壁には連子窓が入っていたようで腰貫を支える束が入っていて創建時の姿をほうふつさせています。
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中には奈良時代の五重小塔が。
相輪は失われていて、薬師寺東塔をもとに復元されています。
薬師寺東塔と同じく、三手先斗栱で支輪はまだありません。
この時代の塔らしく、上方への縮減が大きくて五層目はかなり細くなっていますが、実物の塔と違い最上層も3間で斗栱もきちんと配置されてています。
瓦は木製で、屋根の葺き替えも必要ないので古い手法を今に伝えています。



唐招提寺 講堂

講堂は寺の創立後間もなくの8世紀中ごろ平城宮朝集殿を移し構造に改造した説、平城宮にストックされていた古材が使われた説がありますが、平城宮朝集殿説が一般的です。
この平城宮朝集殿は屋根は切妻造りで斗栱は大斗肘木、柱は礎石建ち、規模は9間、連子窓も扉もない非常に開放的な建物でした。
移設にあたり屋根は入母屋造り、外側だけ三斗組に替えられ、さらに鎌倉時代の大改造では入側柱頂を切り、垂木勾配を緩めて野小屋を作り、部材の表面を削って細くし、斗・肘木の形を作り替え、戸口や窓を新しくし、繋虹梁上にあった蟇股を間斗束の下に移されました。
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基壇の高さは元の高さに戻してあるそうです。
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唐招提寺 金堂

唐招提寺は天平宝字3年(759)創建。(他説あり)
伽藍としての規模は小さいながらも、配置は現在もそのままで法隆寺に次いで奈良時代以来の景観を残しています。

現在は失われていますが、塔が遠くに離して建てられていたので、完全に金堂中心の伽藍配置です。
唐招提寺の中心である金堂は建築様式から宝亀説が有力。
当時は唐から建築様式が流入してきた時代なので8世紀盛唐の様式でつくられています。
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正面一間通り吹き放しは奈良時代に多く見られる形式。
当時はここに前庭を囲う回廊が取りついて、内庭を礼拝の場としていました。
回廊は全ての間に連子窓が入っています。金堂の側面・背面ともすべての間が連子窓になっているのは回廊と一体感を出すためです。
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虹梁は上下二本渡されていますが、下の虹梁は後補のものです。
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当初からある上の虹梁は板蟇股を乗せて内部の組入天井の桁を受けています。
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斗栱は薬師寺東塔に次いで二番目に古い三手先斗栱。
薬師寺東塔は広めの小天井だけですが、こちらには小天井とともに支輪が出現しています。
支輪は装飾材です。
丸桁は字のごとく丸材が使われていて天平っぽくてテンションが上がります。
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隅部の斗には初めて鬼斗が用いられています。
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垂木は地円飛角。
地垂木が○で飛えん垂木が□
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内部は撮影禁止です。
二手先斗栱の二手目に大虹梁がのり、大虹梁にのせた板蟇股上の巻斗が支える天井桁に支輪が取りつき組入天井になっています。
このように内部全体が組入天井になっているので、本尊の向背は、支輪に沿って軽く傾いています。






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